生体調節学 久原 篤 研究室

 

現在の研究内容

 

動物の温度に対する応答と記憶を明らかにする

 みなさんの周りには様々な環境の情報があふれていまして、それらの環境情報は、例えば、光や匂いや空気や温度などで構成されています。 そのなかでも、温度は地球上に必ず存在し、生体の化学反応にも直接影響を与える重要な環境情報ですので、生物の温度に対する応答や適応は生命の維持と繁栄にとってとても重要です。

久原 研究室では、動物がどのように温度を感じて記憶して、環境に対する耐性や馴化、そして適応や進化をおこなっているかをシンプルな実験動物である線虫をつかい研究しています。

これらの研究から、ヒトを含む動物が脳神経系においてどのように感覚記憶が制御されているのかや、体が温度になれるための体内組織の仕組みや、どのようにして環境に適応や進化してきたかなどの重要な仕組みが明らかになります。

実用面では、私たちの実験系は、ヒトの生体調節に関わる新しい薬の開発にも関わっています。また、神経活動を解析する光学装置を企業と共同で開発しております。

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温度耐性に関する研究の背景

生体が寒さに馴れることで耐性をもつ機構は、高等動物だけでなく、植物や昆虫など様々な生物でも研究が進められてきています。

低温に対する耐性機構として、植物から昆虫まで共通してみられる現象として、生体膜の不飽和脂肪酸の含有量を増加させ膜の流動性を高め、細胞の凍結を防ぐ機構が知られています。 また,細胞内に低分子量のグリセロールやソルビトールなどの糖アルコールや、トレハロースやグルコースなどの糖を蓄積させ、低温や凍結に対する組織を保護することも半世紀以上前から知られています。

そのような耐性を引き起こす体内変化が知られている一方で、温度の感知から耐性を引き起こすまでの分子情報伝達の過程については未知の点がたくさん残されています。

温度への生体調節に関する分子生理メカニズムを明らかにするために、シンプルな動物である線虫C. エレガンスCaenorhabditis elegansC. elegans))を使って解析を行っています。

 (一般+学部生向けC. エレガンスの紹介 こちら


動物の温度に対する応答と記憶の解析

地球温暖化および局所的な寒冷化は生命の存続にかかわる問題である。当研究室では、線虫C.エレガンスを解析モデルとして、 動物の温度耐性システムに関与する「温度感知」と「温度記憶」の分子と組織メカニズムの解明を目指している。

温度行動研究の過程で、線虫の「低温耐性」に気がついた。低温耐性とは、C.エレガンスの野生株系統(イギリスDR)を、20℃で飼育した後に、2℃に移すと死滅してしまう(20℃→ 2℃: 死滅)が、15℃で飼育した後に2℃に移すと、90%以上の個体が生き残る現象である(15℃→ 2℃: 90%生存)。つまり、線虫は、環境温度の低下に伴い、より低温になれる(馴化や耐性)ように体内で制御していると考えられる。

さらに、20℃で飼育された個体は、わずか3時間15℃に置くことで生存できるようになった(Ohta, Ujisawa, et al., Nature commun., 2014)。この現象は、神経系において哺乳類の記憶に関わる遺伝子で制御されていることから記憶の解析系として使えると考えられる。

この低温耐性の現象に着目し、温度受容と記憶のに関わる分子機構の解析を行なっている。


温度感知と耐性に関わる遺伝子と組織ネットワーク

 これまでに低温耐性に関わる遺伝子と細胞レベルでの解析をおこない、低温耐性に関わる新たなシステムが見つかってきた(Ohta, Ujisawa, et al., Nature commun., 2014)。

具体的には、従来、光やフェロモンを受容することが知られていた感覚ニューロンが温度を受容し、それに応じてインスリンが分泌され、腸などで受容されることで制御されるという、新たなシステムが見つかってきた。

また、光の感知に関わる遺伝子が温度の感知にも関わっていた(Ujisawa et al., PLOS ONE, 2016)。

以上の解析には、従来の遺伝子変異体の解析だけでなく、神経活動のイメージング解析、DNAマイクロアレイ解析、ガスクロマトグラフィー解析など多面的な解析手法を用いた。

これまでに見つかった温度耐性のシステムを利用することで、未知の温度受容体や、記憶に関わる分子、さらに組織間ネットワークを制御する分子生理機構が明らかになると考え、関連遺伝子の単離を行っている。

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 (学部生向け:専門的なダイジェスト記事 こちら(文科省新学術領域 記憶ダイナミズム HP))

 (学部生~専門家向け:専門家向けの総説 こちら(比較性理性化学学会 学会誌HP))


メカノ受容体が温度を感知して体の低温耐性を調節する

 触った時の感触といった機械刺激を受容するメカノ受容体(DEG-1)が温度を受容し低温耐性を調節していました (Takagaki et al., EMBO reports, 2020)。

新たな温度受容ニューロンとしてASGニューロンが見つかり、DEG/ENaC型のメカノ受容体DEG-1がその温度応答に関わっていました。ASG温度受容ニューロンは、下流のAINとAVJ介在ニューロンに情報を伝えることで低温耐性を制御していました。

メカノ受容体DEG-1を味覚ニューロンASEやカエルの卵母細胞に人工的に導入したところ、味覚ニューロンやカエルの卵母細胞が温度上昇に反応するようになりました。さらに、ヒトのメカノ受容体MDEGも温度に反応することが分かりました。

以上の研究から、DEG/ENaC型のメカノ受容体が線虫だけでなくヒトでも温度受容体として働く可能性が考えられ、線虫では低温耐性に関わっていました。

将来、ヒトの温度受容の仕組みや、温度による健康障害の原因解明などに役立つと期待されます。

 (学部生~専門家向け:専門的な解説記事はこちら(AMED HP))


精子が頭部の温度受容ニューロンをフィードバック制御

 低温耐性を制御する頭部のニューロンの活動が、予想外にも精子によって調節されていることが見つかった(Sonoda, et al., Cell Reports, 2016)。

低温耐性に関わるさらなる遺伝子を同定するために、腸のインスリン情報伝達系によって制御される遺伝子をDNAマイクロアレイ解析で調べたところ、精子で発現している遺伝子がたくさん見つかった。 それらの精子遺伝子の変異体では、個体の低温耐性が異常だった。

すでに低温耐性に関わることが見つかった頭部の温度受容ニューロンや腸が、精子と情報をやりとりしていることが、遺伝学的エピスタシス解析や定量的PCR解析から見つかり、精子の下流に頭部の温度受容ニューロンが位置するという面白い可能性が考えられた。

そこで、頭部の温度受容ニューロンの神経活動が、精子の異常によって変化するかを、細胞内カルシウムイメージングで測定し、精子が頭部のニューロンを制御していることが見つかった。

C. エレガンスは下等動物でありるが、これまでに線虫の研究者が多数のノーベル賞を受賞しているように、ヒトと線虫の間に共通する生体調節メカニズムがたくさん見つかっているため、 ヒトとの共通性が見つかる可能性も考えられる。

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筋肉が嗅覚ニューロンに影響を与え体の温度耐性を調節

 温度刺激依存的に発現変動する遺伝子として、ヒトにおいて詳細な役割が未知であるEndoU(エンドウ)と呼ばれる「カルシウム依存性RNA分解酵素(ENDU-2)」の遺伝子が見つかってきました。

私たちの解析から、線虫のEndoUであるENDU-2が、低温耐性や寿命、産卵数や神経シナプスの刈り込みなど、多様な生命現象に関与していることが分かってきました(Ujisawa et al., PNAS, 2018)。

特に、低温耐性において、ENDU-2が筋肉で働くことで、頭部の1対の嗅覚ニューロン(ADL)の活動を変化させ、体全体の低温耐性を変化させることがわかりました。さらに、ADL嗅覚ニューロンが温度に応答すること、ADL嗅覚ニューロンの中でもENDU-2が神経活動を調節することが見つかりました。

ENDU-2 はニューロン内において、カスパーゼ(CED-3)などのプログラム細胞死(アポトーシス)を誘導する遺伝子の発現を調節し、ニューロンのシナプスの数を適切に調節していました。これらの現象が組み合わさり、低温耐性が調節されていました(Ujisawa et al., PNAS, 2018)。

これまでにヒトと線虫で共通する生体調節メカニズムが多数発見されているため、線虫のENDU-2 が関わる生体現象もヒトでも共通しているかも知れません。

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2つの感覚情報を統合・識別するための神経回路の解析

 環境の酸素濃度が、からだの低温への馴れ(低温馴化)に関わることが見つかりました(Okahata et al., Science Advances, 2019)。

この現象には、ヒトにおいて心臓病や“てんかん”に関わるカリウムチャネルという神経活動を調節するタンパク質が関わっていました。

具体的には、1)カリウムチャネルKQT-2の変異体が低温馴化の異常を示し、2)それが「飼育空間の大きさ」に影響されること、3)この低温馴化異常の空間依存性には温度受容ニューロン(ADL)が関わっており、温度受容ニューロン(ADL)は別の酸素受容ニューロン(URX)と神経回路を作り、これらが連携して低温馴化を調節していることが見つかりました。

酸素受容ニューロン(URX)は、体液中の酸素濃度を感知する酸素センサーニューロンで、URXの中では酸素受容体タンパク質であるGCY-35が働いています。

今回、温度と酸素という2つの全く異なる感覚情報の統合に関わる神経回路が明らかになりました(Okahata et al., Science Advances, 2019)。

この神経回路を調べていくことで、今後、ヒトの脳内で複雑な情報がどのように統合や識別されるかなどの解析に役立つと考えられます。

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温耐性現象の多様性の解析

 低温耐性は野生株の産地の違いによって大きく異なることが見つかってきたため、低温耐性の多様性現象に着目し、適応や進化やに関わる遺伝子を同定しようとしている(Okahata, et al., JCPB, 2016)。

前述の通り、イギリス産の野生株は、15℃で飼育した後に2℃に移すと、90%以上の個体が生き残る(イギリス産: 15℃→ 2℃: 90%生存)。

ところが、ハワイ産の野生株は、15℃で飼育後に2℃に移すと、約40%しか生き残らなかった (ハワイ産: 15℃→ 2℃: 40%生存)。

また、カリフォルニア産のC.エレガンスにおいても、低温耐性の表現型が異なった。

さらに、温度への適応スピードの多型も見つかってきたため、次世代DNAシークエンサーと遺伝学的解析を組み合わせ、馴化や記憶の多型に関わる遺伝子の単離を目指している。

現在までに、低温耐性や低温馴化の多様性を示す様々な系統の全ゲノム配列を決定し、多様性を決める遺伝子の存在する染色体領域のマッピングを行っている。

これらの研究は、地域の気温の違いと、動物の温度適応の多様性を理解するモデル系になると考えられる。


温度環境に対する人工進化

 環境の温度変化に対して、動物がどのように適応し進化をとげ、種の多様性を獲得するのかをゲノムレベルで明らかにする研究にも取り組んでいる。

具体的には、平均気温が約20℃のイギリス(Bristol)産のC. elegansを、連続した継代が可能な限界温度の上下点である23℃や15℃で、10年以上かけて飼育し続ける。

線虫は、1世代が2.5~7日であるため、10年間で約1500世代、ヒトに換算すると約5万年に相当する人工進化が期待される。

定期的に、系統を冷凍保存し、次世代DNAシークエンサーがより安価で利用できるようになった後に自然変異を同定する。

すでに約150代目において、表現型の変化が観察されている。

変異の推移から、将来の地球温暖化による生態における動物の適応と進化を予測する。

 線虫は世代交代が3日と早く毎世代ごとに容易に凍結保存が可能であることがメリットになる。

線虫を実験系として使用するメリットは神経回路がすべて明らかになっていることなどたくさんあるが、おそらく100年後には、他のモデル動物の幾つかでもすべての回路が同定されているものがあると考えられる。

しかし、「世代交代が早い」と「凍結保存できる」という物理的な利点は、時間が経過しても普遍的であると考えられるため、そのメリットを最大に生かす。


今後の展望と進行中の解析

新規の温度受容体の単離解析: 網羅的RNAiスクリーニングとカルシウムイメージングを組み合わせて行っている。

記憶の解析: 哺乳類の記憶に関わる転写因子の関与が見つかってきたため、その下流遺伝子の同定と関連する神経回路の同定を行っている。

多様性と進化: 既に単離した新規変異体や、多型株、および人工進化系統に関しては、次世代DNAシークエンサーを使い、遺伝子の同定を行っている。

多臓器ネットワーク: 新たに関与が見つかった組織を含めた、体内組織ネットワークの制御機構を内分泌の観点からも解析している。

・線虫の温度適応の実験系は、非常にシンプルであるため、短時間にハイスループットで温度応答や記憶に関わる遺伝子のスクリーニングが可能である。このメリットを活かし、ケミカルスクリーニングを行っている。

また、神経情報処理の解析系としても便利であるため、企業との光学機器の共同開発にも取り組んでいる。