生体調節学 久原 篤 研究室
徒然ダイアリー
2024.4.2
桜も咲いてすっかり春になりましたね。 2023年度は大学院の専攻長の業務で徒然と書く時間がありませんでしたが、ようやく少しだけ時間ができました。
久しぶりですので、最近の一番うれしかったニュースを思い浮かべましたら、2月に広島大医学部に御栄転された研究員が温度受容体GPCRを見つけ、その論文がNature commun誌に掲載されたことでした。とても嬉しかったです。
この研究の発端は、2011年に太田茜研究員(現特任准教授)と線虫の低温耐性の実験系を立ち上げた際に、もし低温耐性に関わる温度情報が体全体ではなく感覚ニューロンで受容されるのであれば、感覚ニューロンで働く感覚情報系の遺伝子変異で低温耐性が異常になるだろうと想定したことです。その布石として、感覚情報伝達に関わるcGMP依存性チャネルとTRPチャネルの変異体のフリーズストックを2010年12月に名古屋から神戸に運んできておりました。
初年度の学生さんの頑張りで、低温耐性の温度情報が神経系の三量体Gタンパク質とcGMP依存性チャネルで伝達されることが分かってきましたので、Gタンパク質の上流に存在する可能性のあるGタンパク質共役型受容体(GPCR)を見つけようというのがきっかけとなりました。前任校で温度走性の研究を行ってきた際に、温度受容体GPCRを見つけるための解析をしておりましたが、行動解析に大変な時間と労力がかかったことから、私の力では見つけることができませんでした。低温耐性のハイスループットな実験系を使えばその夢が叶うと胸の鼓動が高まった記憶があります。
2013年に太田茜研究員が当時の4年生とGPCRのRNA干渉法スクリーニングの実験系を確立し、低温耐性に関わるGPCRを幾つか単離しました。翌2014年に着任された技術員が引き継ぎ、最終的には約1000個のGPCRのRNAiから低温耐性に関わるGPCRが50個ほど見つかってきました。
そして2015年に配属された4年生が、大学院修士課程から博士課程まで研究を非常に熱心に頑張りまして、博士論文としてまとめて下さりました。そのなかで、GPCRであるSRH-40を味覚ニューロンに強制発現させると、その味覚ニューロンが温度に反応するようになったため、温度受容体の可能性がある!と確信しました。
このGPCR SRH-40が、本当に温度を受容しているかを培養細胞などで調べることになり、院生だった筆頭著者が、岡崎生理学研究所の曽我部隆明先生と富永真琴先生の御指導を仰ぎ、培養細胞でGPCR SRH-40を発現させる解析を筆頭著者の院生が行う予定になっておりました。ところがコロナ禍と重なってしまい、院生の長期の共同研究出張が叶いませんでした。しかし、まずは筆頭著者の院生の博士号の取得が最優先と考えまして、院生さんがGPCRの研究と同時に行っていたTRPチャネルが弱い温度受容体であるという研究をScientific Reports誌に公表して、無事に博士号を博士課程の3年間で取得しました。
その後、2022年度になりコロナが少し落ち着いた段階で博士研究員となった筆頭著者が、本格的な解析を行いました。曽我部隆明先生と富永真琴先生の熱心かつ親身な御指導を受け、S2R培養細胞にGPCR(SRH-40)とチャネルを発現させた再構成解析を行い、見事にGPCRが温度に反応することを発見されました。
これまでに線虫やショウジョウバエやヒトの精子でGPCRロドプシンが温度走性に関わることは公表されておりましたが、本当に温度受容体であるかに関して後発論文は公表されていませんでした。そのため、今回の論文がGPCRが温度を受容することを示唆する示す初めてのものと考えられます。Nature commun誌の公表コメントとして「The work will be very important in the field and more broadly, improving our understanding of thermosensation and contributing to go beyond the 'classical TRP-centric' view.」と書かれておりまして、温度感知における新しい研究分野に繋がれば嬉しいです。
筆頭著者の方の元大学院生をはじめとする研究に関わって下さった皆さんの成果だと思います、おめでとうございます。 特に筆頭著者の院生さんは、まさに武田信玄の名言『一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る』を体現されたような方で、一生懸命だからこそ知恵がドンドンと沸いておりました。素晴らしいと思いました。
一方で、今回のGPCR SRH-40に関してヒトには明確なホモログはありませんでしたので、次の課題は、ヒトにおける温度受容体GPCRの発見だと思います。すでに面白い解析結果がでてきておりますので、引き続きこの分野を切り開いていければと思います。
今年は3月末が寒かったため、ようやく桜が咲きました。春は気持ちの良い季節ですね。
2022.11.12
博士課程2年生の大学院生が筆頭著者の論文が、アメリカアカデミーのPNAS誌に掲載され、学生さんのお名前を新聞やWebニュースなどでも紹介して頂きました。とても嬉しく思います。
今回の論文では、「寒くなると神経の働きで腸の脂肪の量が増え、内臓脂肪のおかげで寒さに強くなる」ということが線虫で見つけました。それに関わる予想外の神経回路と組織ネットワークが見つかりました。研究室の立ち上げの時期から、太田茜 特任講師と学生さんが少しずつ進めていた研究でして、非常に地道なデータの蓄積が体の温度適応に関わる脳腸連関の新しい研究に繋がりました。
アメリカのブレインイニシアティブの共同代表を務める著名な先生から、「ここ数年の久原研の低温耐性・温度馴化の論文を読むのが楽しみです。代謝の研究と「神経回路のシステム」を結びつける新しい方向性を指し示しています」とメールを頂きました。
これまでの線虫の代謝の研究は、感覚ニューロンから分泌されるホルモンによる代謝制御の観点で研究が進められてきておりました。最近の私たちの研究成果が、代謝と神経回路を結びつけた新しい研究の方向性として見て頂いているとのこと、とても嬉しかったです。今回の論文は、研究を始めてから論文になるまでに時間がかりました。最も時間がかかった部分は温度受容ニューロンの下流の介在ニューロンの同定とその活動の測定の解析であったと思います。学生さんとスタッフが、丁寧に100種類以上のトランスジェニック系統の温度馴化や神経活動を調べていきました。
それらの解析から、頭部の温度受容ニューロンが環境の温度を受容すると、その情報が尾部の介在ニューロンに伝わり、さらに再度、頭部の介在ニューロンに情報を戻して、神経ホルモンの分泌をうながし、そのホルモンが腸で受け取られることで、腸内の脂肪の代謝を調整して、低温に強くなったり弱くなったりするということが分かりました。個体の温度馴化に関わる温度受容ニューロンでは、飼育されていた環境温度に応じて緩やかに温度の記憶が変化することも見つかりました。
この全身を周回する神経回路の生物学的な意義、つまり体の温度適応になぜ「全身を周回する神経回路」が必要であるかはまだはっきりしておりませんが、例えば、尾部にも低温耐性に関わる温度受容ニューロンがあり、それらの情報を尾部の介在ニューロンが統合した上で、再度、頭部の介在ニューロンからホルモンとして内臓に指令を出すのかもしれません。また、尾部の介在ニューロンは神経繊維を腹側全体に伸ばしておりますので、そのニューロンから別のホルモンなどが分泌されて、体全体に効率よく指令を出しているのかも知れません。
まだまだ分からないことは沢山ありますが、少しずつ花が開いてきております。それに加えて、筆頭著者の学生さんが この研究成果の成果により様々な学会で賞を受賞してきており、その笑顔がとても嬉しかったです。
学生の研究成果が新聞などで報道されますと、一見すると華やかで容易に結果が出ているように見えますが、その過程は一歩一歩の地道な毎日の研究の積み重ねです。しかし、自分が好きな研究をしていると、その道のりも結構楽しいです。上手くいかない時は、一休みして六甲山や神戸の港を見渡せる環境にあるのは幸せです。
今回も、学生さんやメンバーが気がついたり思いついたことから研究が発展しました。自然科学のうち、人間が理解しているものは5%以下ともいわれておりますので、私が知っていることはそれよりもかなり少ないでしょう。そのような自然の原理を解明するためには、実験者本人の素直な感覚が大切ですので、その種を育てると、新しことが次々と見つかってきます。これからも、自然科学に対する謙虚さを大切にできればと思います。
今年は大学院の生物系の専攻長をしており、バタバタしておりまして、この記事を書くのも遅くなってしまいました。 気がつけば、もうすぐ12月ですね子供達はクリスマスを楽しみにしております(正確にはサンタさんのプレゼントですね)。
最後に再び、著者のみなさま、おめでとうございます。
2021.8.13
新型コロナウイルス感染症の拡大がまだ収まる気配がなく、科学者として色々と思うところがありますが、日々の研究はラボメンバーと協力して進めております。
さて、少し前にコロナの感染者数が減っていた時期に、あべのハルカス美術館のポーラ美術館展に行ってきました。小さい娘達にせがまれ、たまにアベノキューズモールのプリキュアショップに遊びに行っていたのですが(娘達から教育を受けプリキュアに詳しくなりました)、美術館へは初めて行きました。
かねてからポーラ美術館には行ってみたいと思っていたのですが、小田原から1時間ほどの箱根にあり遠方のため行ったことはありません。今回はポーラ美術館所蔵の印象派の画家の作品を大阪で展示するとのことで、3年生の学生実習期間を終えたタイミングで出向きました。
出向く前は、印象派のルノワールやモネやマネの絵を楽しみにしていました。実際に、ルノワールの レース帽子の少女画 はそのエレガントな筆遣いにより、見る角度によって衣装や帽子が浮き上がるように感じられ感動しました。(レース帽子の少女画のみ撮影可能で、非営利私的公開可のため撮影写真を末尾にリンクします)。
素晴らしい作品ばかりでしたですが、今回鑑賞して一番感動したのはシャガール(Marc Chagall, 1887-1985)の多数の絵画でした。絵画そのものは当然素晴らしいのですが、シャガールが歩んできた人生とそのターニングポイントに作製された絵画の背景にある心情に心を打たれました。
少しシャガールを紹介します。シャガールは1887年に当時の帝政ロシア領内 (現ベラルーシ)に生まれ、画家になるために首都サンクトペテルブルグに移住したのですが、アカデミック教育になじめず近代絵画に転向して、フランスに移住しました。パリでは、エッフェルが設計した建物にアトリエを構え外国人芸術家と交流を深めました。
ところが、パリで注目を集めていきベルリンで初個展を開くために故郷に1914年に一時帰国中に第一次世界大戦が勃発したため、フランスに戻れなくなり、約8年間をロシアで過ごした後に ようやく1922年にパリに戻りました。アトリエの作品は なくなり失意しましたが、多数の絵画作製に情熱を捧げ、エコール・ド・パリ(パリ派)の象徴となりました。
しかしさらに、1939年に第二次大戦が勃発し、1940年にパリはドイツ軍に占拠されると、ユダヤ教徒であったシャガールはユダヤ人排斥の動きに巻き込まれ、1941年にアメリカに亡命しました。ようやく、1950年に南フランスに移り住み、そこを終の棲家にしました。
その時に描かれたのが、恋人たちとマーガレットの花 (Lovers with Marguerites) で(1949-50) とのことです外部リンク。シャガールの絵画でよく見られる咲き誇る花が特徴的で、色彩の魔術師といわれる色の使い方に、やっと訪れた平和に対する喜びが感じられるポップな絵だと思います。2度の苦しい世界大戦を経験し、そのなかでユダヤ教徒への迫害を乗り越え、最後に温暖な南フランスで手に入れた平和に、想像を超える至高の喜びがあったのかと思います。
昨今、SDGs (Sustainmnable Development Goals)が世界的な課題かつ目標となっておりますが、ひとつの絵画の背景からも、温故知新として学ばせて頂きました。 私は科学者ですが、サイエンスも芸術と同じく壮大なヒストリーがあり、その中には戦争や迫害や差別に苦しんだ科学的概念やサイエンティストも多くおります。現在は物や資材に恵まれた時代です、一方でコロナ禍という世界的な疫病にも見舞われております、平和な環境の中で好きなサイエンスを満喫できることが、いかに幸せであるか(あったか)を感じております。
一方で、物資に恵まれているからこそ、理念が取り置かれているケースも、サイエンスに限らず間々あるかもしれません。サイエンスにしろ芸術やスポーツにしろ、好きなことを深めるには勇気が必要です、その勇気は、しがらみの少ない若いときに最も効率よく発揮できますので、今後の教育にも活かせればと思いました。
2020.9.23
徒然ダイアリーを書くのは久しぶりです。
2019年から2020年にかけて所属学科で輪番の学科長(主任)をしていまして、新型コロナウイルスへの対応もあり学科の運営業務に最後まで追われておりました。今年以上に科学者としてだけでなく、社会の一員として冷静に「データを察る」ことの大切さを感じた年はないかもしれません。
さて、そのような中でしたが、2020年の3月には2名の大学院生が博士号を取得しました。お二人とも学部4年生の1年間、修士課程2年間と博士課程3年間の計6年間、生き生きと研究に取り組まれておりました。
お一人は博士課程時に出産・育児のなか論文を発表しまして、2019年にロレアル ユネスコ女性科学者日本奨励賞と、2020年に日本学術振興会育志賞を受賞されました。大きなライフイベントのなか論文のリバイス実験を行い、育児をしながら博士論文を完成させ立派でした。私も3歳児と小学校低学年児の育児中でしたので、育児に関しては日々の発見を語り合う同僚のようでもありました。
もうお一人の院生も2020年にロレアル ユネスコ女性科学者日本奨励賞を受賞されました。2年連続で同じ研究室からの受賞は初めてとのことでした。この研究内容については触れておりませんでしたので簡単に紹介しますと、従来は接触刺激などをうけとるメカノ受容体として知られていたDEG-1というDEG/ENaC型の2回膜貫通型ナトリウムチャネルが、温度受容体として機能して、個体の温度受容と低温耐性に関与していたというものです。個体の生体調節に関わる新しい温度受容体を見つけたということで、私のキャリアのなかでもとても印象に残る論文になりました。
この研究は2019年の1月末くらいから論文誌に投稿を始め、色々と投稿して最終的に2019年の8月頭にリバイスになりました。筆頭著者の院生さんが追加実験を頑張り10月末に再投稿して、12月20日にアクセプトになりました。ちょうど学内の博士論文の予備審査の〆切りの実質的な前日でした。これまでどおり博士課程の3年間で博士号を取得して頂けてホッとしました。
在学中に印象に残っているのは、1日1日を大切にされている姿でした。論文の投稿中で実験などが止まる中でも、予想されるリバイス実験を淡々と先行して行い、博士論文も迅速に書き上げ常に時間を大切にされておりました。そのような真摯な姿勢であったため博士申請手続きの1日前に間に合ったのだと思います、クリスマス直前でしたので、素晴らしいクリスマスプレゼントを貰ったような気がしました。研究をしているとなかなか思い通りに行かない確率の方が高いですが、そのような中でも精神を安定させ、時間を大切に進めている姿にとても感銘を受けました。
今年はコロナ禍で、お二人の日本学術振興会育志賞と、ロレアル ユネスコ女性科学者日本奨励賞の受賞式がそれぞれ中止になりましたが、その姿は学科の後輩にも勇気を与えているようです。お二人とも受賞と博士号おめでとうございます。
2021年追記: 後日談でございますが、コロナ禍で中止となりました2020年度のロレアル-ユネスコ女性科学者日本奨励賞の受賞式が2021年11月に行われました。参加者の人数制限があり受賞者のみの参加となりましたが大変おめでたく存じます。
2020年の日本学術振興会育志賞の受賞式もコロナ禍で中止となりましたが、ささやかですが学内にて受賞式を行って頂きました。ご準備頂いたみなさまにも感謝申し上げます。
2019.8.8
この度、比較生理生化学会誌の巻頭言の執筆のご依頼を受けまして、教育研究の場で、また日常で感じたことを研究者の思索のヒントや道標となればと思い、僭越ながら筆を執らせて頂きました。ここでは編集前の原文を記します。
私自身は42歳と学位取得後約15年の若手と中堅の間の世代でありまして、団塊ジュニアのロストジェネレーション世代とも言われております。そのような世代ですが、私自身は好きな分子神経遺伝学と生理学を主体に線虫の温度応答の解析を楽しく進めてきました。
学位を取得後、名古屋大で助手、助教、講師としてプレーヤーとして研究を進めてきましたが、2011年に幸運にも33歳で甲南大学にて研究室を持たせて頂きました。それ以降は、約9年間プレーヤーではなく監督として研究室を運営し研究を進めてきました。
独立当時はテニュアトラックによる若手独立制度が始まった時期でしたが、その制度による独立の流れには乗りませんでした。その当時はあまり意識していなかったのですが、それが研究テーマをじっくりと練りゼロからチャレンジできるチャンスになりました。
名古屋で行っていた温度走性の研究から面白いことも見つかってきましたが(Kuhara et al., Science, 2008; Kuhara et al., Nature commun, 2011)、独立するからには温度走性を一切やめて、ゼロから新しいテーマを開拓したいと思いました。
独立当時は4年生が5名でテーマも研究費もないというナイナイづくしでしたが、学生さんの頑張りにより、運良く見つけた線虫の低温耐性の表現型を指標に、そのメカニズムの解析を進めることができました(Ohta et al., Nature commun, 2014; Okahata et al., Science Advances, 2019)。
新しい現象にはその原因があります。実験系を確立すればそこを深く掘り下げることで、ドンドンと新奇の生物学的な仕組みが見つかってきます。線虫のようにシンプルなモデル動物であっても、研究を進めても分からないことばかりで、生命の魅力に取り付かれた学生時代の気持ちは今もそのまま持ち続けており、若い学生さんとその気持ちを共有できるのが幸せです。
昨今、博士課程への進学希望者が全国的に少なくなっていると見聞きしております、名の知れた大学でも任期制の助教を公募した際の応募人数が一桁という話も聞きます。また、男女共同参画の観点から女性教員比率を上昇させるために若手の助教ポジションに女性を採用したいという大学も多いのですが、女性の応募が少ないのが現状です。
研究をしているとよく、人がやっていない研究を進める、つまり人とは逆の道に進めと言われますが、昨今の博士課程の進学に関しては、若手の皆さんが同じ方向に向いている気がしております。
若い学生さんに伝えたいこととしましては、今の現状は私が院生だったときよりも楽観してもいい状況だと思います。なぜならば、博士号を取得して企業に勤めて立派に活躍されている方も目に見えて増えておりますし、若手の教員のポジションは以前よりもむしろ倍率が低いのが現状です。
もし、研究が好きなのでしたら、今こそ「人とは逆の道に進めば」その先にも道が見える確率は以前よりも高いと思います。私自身も、気がつけば研究を始めて20年が経っております、若い20代の時は好きな道に没頭した方が後悔はないかと思います。
さて、ここまで書き進めてきまして、サイエンスの話題に触れておりませんでしたので、ここからは話題を変えたいと思います。ちょうどこの原稿を執筆している1年前に、線虫の研究分野でプログラム細胞死(アポトーシス)を発見され、2002年にノーベル医学生理学賞を受賞されたジョン・エドワード・サルストン博士が永眠されました。
サルストン博士は、イギリス ケンブリッジのMRC分子生物学研究所で線虫をモデル動物として確立されたシドニー・ブレナー博士(2002年にノーベル医学生理学賞)のもとで研究をされました。サルストン博士は、線虫C. elegansが受精卵から成虫になるまでの細胞の分裂地図である細胞系譜を詳細に記述され、その中から幼虫期から成虫になる際に死んでしまう細胞を発見され、プログラム細胞死を公表されました。
サルストン博士はこの細胞系譜という「生き物が受精卵から成体になるまでのすべての細胞分裂の地図」を全体としてとらえることで新奇の発見をしました。つまり、生体全体を1つのシステムとしてとらえ、その全体像の中から、新しいパーツを見つけました。
サルストン博士は、この視点をヒトゲノムプロジェクトに導入しました。つまり、ゲノム自体を1つのシステムとしてとらえ、全ての塩基配列を明らかにすることで、新しいパーツ(遺伝子や染色体制御機構)が明らかになるのではないかというロジックです。
サルストン博士は、1990年代にイギリス ケンブリッジのサンガーセンターの所長としてゲノムプロジェクト進めました。しかし、ヒトゲノムはサイズが大きいため、その解析モデル系として線虫C. elegansのゲノム配列を1998年に決定されました。筆者が学部4年生の時でした。
この線虫のゲノムプロジェクトで利用したDNAシーケンサーや線虫のゲノムデータベース(WormBase)が、後のヒトゲノムプロジェクトを加速度的に成功に導く礎となりました。シンプルな生物は一般社会の方からするとその研究が何の役に立つのかという視点になってしまいますが、その解析から得られた技術や方向性が、ヒトの解析に大いに役に立っていることは多々ございます。
昨今、システム生物学が流行となっておりますが、個体全体をシステムとして捉え比較するという解析手法は、比較生理学の分野では旧来から行われており、その手法こそ現代の主流を作り出したとも言えます。これからも比較生理生化学は新しい潮流を作り出せると信じております。
2019.2.7
本日、博士課程の院生が筆頭著者の論文がScience Advances誌に公表されました。
内容を一言でいいますと、「環境の酸素の濃度の違いによって体が低温に慣れるまでの時間が変化する」という研究でございます。
この研究のきっかけは、研究を行っていた学生さんが線虫を飼育するシャーレの大きさ(容積)によって低温耐性が変化することに気がついたことが始まりでした。
解析を始めた当初は、シャーレの大きさで低温馴化が変わるという法則性が分からなかったため、日によって低温馴化の異常が見られたり見られなかったりと、非常に苦しんでおりました。
研究室内でも、実験操作に問題があるのではないかとも言われていたりもしましたが、その学生さんの実験姿勢やデータを直に見ており、きっとどこかに生物学的な本質的なクエスッチョンが有るのではないかと直感的に感じました。 ご本人が頑張られ、それがシャーレの大きさによる低温耐性の変化であることをみごとに再現されました。
しかし、シャーレの大きさのどのような要因が低温耐性に関与しているかは雲を掴むようでした。フェロモンなのか匂い物質の濃度なのか色々と検討しまして、学生さんの頑張りで、最終的に酸素濃度であることが分かりました。
私自身は指導教授としてまた研究者として、実験結果には常に「本当であるかどうか」といった、良い意味で自分を疑う目で接しております。一方で、ある程度研究が上手く進んでいるメンバーや、4年生で研究面で未熟であっても、それまでに経験してきた生き方とその対処法に立派な考えをもっている学生には、リスペクトの気持ちを持って、実験者自身の気が付きを直感的に信じることがあります。
直感というと非科学的かと思われるかもしれませんが、直感というのは多数の経験に基づいて脳が瞬間的に情報処理をして「これは面白ポテンシャルがある」と感じるという、ある種の研究者としての嗅覚のような気がします。
どこかの新聞記事で将棋の羽生永世7冠が、将棋の次の一手を打つ際に迷ったときには、盤面を見た歳の大局観で直感的にこちらの手を選ぶことがあると言われておりました。私自身は将棋に関しては、30年程前にお恥ずかしながらアマチュア二段になってから全く触れていないので現在は素人なのですが、サイエンスの面ではプロとして大局観から「これは何かある」と思うことがあります。
学生さんを見ていても、そのような新しいことを見つける嗅覚にすぐれた学生が必ず一定の割合でいらっしゃいます。研究者には論理的思考は当然ながら必要ですが、何かをドカンと進める際には、いわゆるペーパーテストでは測れない着眼力が必要な気がします。
好きこそものの上手あれとよく言われますが、サイエンスに限らず好きだけど自信がないという学生さんは、是非、自分の可能性にチャレンジして見てみてください。 人生は平等に誰にも1回しかありませんので、その方が後悔がないと思います。
この度は院生さん、論文の公表おめでとうございます。
2018.1.1
先月末にリリースされましたが、この度、日本学術振興会賞を拝受させて頂けることになりました。身に余る光栄でありますと同時に、今後も線虫C. elegansを用いた神経遺伝学を発展させるべく研究・教育に力を注ぎたいと新しい年が始まる日に心新たに思いました。
本賞の申請にあたり代表的な業績として5編の論文を記入しました。そのうち2編は研究室をもつ前の論文でした。これらに関しては、今年度に紫綬褒章を受章された恩師の森 郁恵先生の御指導と当時の共同研究者の皆様のおかげだと思います、心より感謝申し上げます。
残りの3編は研究室を主催するようになってから公表されたの論文でした。研究室を主催してからは、私自身が実験をすることは滅多になく、実験はほぼ研究室のメンバーの皆様によって行われましたため、研究室のメンバーおよび卒業生の皆様のおかげだと思います。この場を持ってお礼申し上げます。
研究を進める上で、毎日のようにメンバーと研究の方向性の議論を行っておりますが、線虫のようにシンプルな実験動物を使っていても、非常に複雑で予想を超えた現象に直面することが度々あります。 自分で実験をしている際には、何気ないところから新しい現象が見つかってきました、例えば、低温耐性も温度走性行動の解析後のシャーレを冷蔵庫に入れておいて偶然気がついたものです。
しかし、自分で実験をしなくなると最前線での「気づき」は、私ではなく実験をされている学生さんや研究員となります。そのような中で大切にしているのが、実験者の、ふとした言葉に耳を傾けることだと思います。 メンバーからそのような気づきを聞く時は、新しい発見があるのではないかとワクワクします。その新しい発見の部分をピンと尖らせていくと、次々と面白いことが分かってきます。全く予想しない不思議な結果が出たときは、それは新しい発見のチャンスです。
ゲノムが解かれて、解析技術も進展しておりますが、最先端の技術で見つかる発見も実験者の気づきに依存していることが多いと思います。若い修士課程や博士課程の院生の学生さんがとても面白いことを発見されることも多い気がします。 寺田寅彦先生の昭和8年の書籍の中に「自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみ、その神秘の扉を開いて見せるからである。」という言葉があります。その言葉を思い出しました。
一方で何も考えずにただ見ているだけでは、発見はありません、目が肥えていないと目の前にあっても気がつかないものです。 学部学生や高校生の学生実習で線虫などのスケッチをしてもらっていますが、スケッチを見ますとその人がどのような視点で何を見ているのかがよく分かります。線虫は透明ですので、実体顕微鏡で体内がよく見えますが、線虫のスケッチ画が「黒いカリントウ」のように描かれていることもあります。目の前にあっても認識していないと描くのは難しいです。 写真や動画は記録やプレゼンテーションには重要ですが、初めは実際に目で見ないといけません。目で見たものは脳の中で3Dに構築され記憶に残り、ふとした瞬間に、そういえばあれは重要なことかもしれないと思い出したりします。また、目で見ると動いている部分の違いにも気がつきます。
このような気づきにも、基礎となる土台が必要です、例えば既知の生体構造や分子遺伝学的な知識などは知っていないと新たな発見に繋がらないでしょう。初めは既存の書物や指導者の研究指導を素直に吸収して土台を作り上げ、その上で純粋な気持ちで生き物に接すると、自然と見えてくるものがあると思います。それを繰り返して初めて独自の研究ができると思います。これらの条件がいい具合に整ってくるのが大学院生や若い研究員の時期のような気がします。
これからも実際に最前線で頑張っているメンバーを大切にして、その気づきの中から面白い研究を進めていきたいと思います。
最後になりますが、当研究室では昨年、研究員から4年生までの各段階の多くのメンバーが様々な賞を受賞しております。 例えば、博士研究員が「守田科学研究奨励賞」、博士院生の博士論文が「井上研究奨励賞」、博士院生が「原富之賞」、修士院生が「遺伝学会Bestペーパー賞」、4年生が「サイエンスインカレファイナリスト」などです。メンバーの皆さんの頑張った成果が実を結んでいるようで、我が子のように嬉しいです。 詳しくはこちら
伸び伸びと楽しい雰囲気と、一生懸命粘り強く頑張れる二つの雰囲気が、いい案配になっているからかも知れません。 久原研では教員だけでなく、最前線で頑張るメンバーが目立ち評価されることを最も大切にしております。
長々となりましたが、日本学術振興会賞を機会にさらに研究を発展させていきたいと思います。
久原篤
2017.5.29
朝日新聞に久原教授のインタビュー記事が掲載されましたので、その内容を紹介させて頂きます。
オリジナルの記事:こちら「生き物は低温にどう慣れる?」 線虫使い「温度記憶」の変化確認
生き物は周囲の温度をどのように感じているのか。その詳しい仕組みの解明に取り組んでいる。
目をつぶれば光を、口や鼻をふさげば昧やにおいを遮れます。しかし、温度の感覚は完全に遮ることができません。生き物にとって温度は、周囲の環境を読み取る上でとても重要な情報なのです。体内には刺激を受け取る様々な種類の「センサー」があります。例えば、自にあるロドプシンは、光のセンサーです。一方、動物の温度センサーは、長い間分かっていませんでした。1990 年代、唐辛子などの辛みを感じる「トリップチャネル」が、温度を感じるセンサーの一つだと分かりました。ただ、温度を感じるセンサーはほかにもあるとみられ、まだその全体像は解明されていません。
中略
動物は周囲の温度に適応することができる。線虫が低温に体を慣らす仕組みを調べている。 私たちは、体が寒さに慣れたころに急に暖かくなると、体調を崩すことがあります。線虫も同じです。ふだん20度で飼育していた個体を2 度の環境に移すと、死んでしまいます。ところが、15度で3 時間飼育して低温に体を慣れさせと、2 度の環境に耐えられるようになります。逆に、ふだん15度で飼育している個体を20度の環境に3 時聞置いた場合、2 度の環境下では死んでしまいます。
この現象が起こる際には、線虫の頭部にある2 個の神経細胞が温度を感じ、その情報は神経を介して腸にまで届きます。そして、遺伝子の働きによってわずか3 時間で「温度記憶」が置き換わり、低温に体が慣れる仕組みです。その個体がどのくらいの低温さらされたかという情報は、精子にまで伝わります。自身の置かれている環境を伝えることで、次代がより生存しやすくなるし組みがあるのかもしれません。
夫婦で研究室を運営している。
妻は、同じ研究室の博士研究員です。昨年2 人目の娘が生まれました。昔は深夜に帰ることもよくありましたが、2 人の娘の保育園の送迎があり、夫婦で家事を分担するうち、規則正しい生活になました。家に帰ってからも、妻とはよく研究の話をしています。
2017.1.28
先日、2名の博士課程の大学院生が博士号の学位論文公聴会で発表されました。
研究室の立ち上げの際に配属された最初の4年生の学生さんで、何もない部屋(ゴミはありました)から一緒に頑張ってきた学生さん達です。 理工系の場合、4年生に研究室に配属されてから修士課程を経て博士課程を修了されるまでに、おおよそ6年かかります。その6年のうちに、大学4年生当時は発展途上であった若い学生さん達がとても立派になられます。
博士号を取得される時期の20代は、研究面だけでなく生活面においても苦しいことがある時期ですので、その時期を乗り越えて、研究成果を国際誌に掲載させるという経験は世界の最先端の科学的な成果を創出するという意味だけではなく、それぞれの人生ドラマとして語り尽くせない大きな経験になったと思います。
博士号を取得された後は、研究の道に進む方もおりますし、民間企業で活躍される方もおりますが、どのキャリアパスにおいても、自らの手で最先端の成果を上げた経験とそれを成し遂げるまでの実行力や論理的な思考力、そして学会などのコミュニティーでのコミュニケーション力は必ず役に立つと思います。
学生を教育する立場から見ますと、自身で研究を行って興味深い発見をするのは、発見したその瞬間は鳥肌が立つほどの感動で、世界で自分一人しかその結果を知らない状態に酔いしれます。一方で、研究室を主催するようになると、自ら実験を行う時間がなくなりますが、学生さんや研究員が発見の瞬間に出会ったときの目の輝きや興奮をみた時、そしてそれを世界に公表できた時に、学生と一緒にその喜びを分かち合えることができます。その瞬間は、研究室を主催していてよかったと思いますし、とても幸せです。さらに、それらを通じて、学生が成長する姿を見るのが何よりも嬉しいです。
これからも、学生や研究員が生き生きと伸び伸びと面白い発見をできる環境を作っていくことが研究室主催者として大切だと感じております。その結果として、研究成果がついてきているように感じます。
私の教育上のモットーは明るく楽しく、学生の良いところを伸ばす教育です。様々な学校の先生方や自分の子供を見ていて、日本の小中高の教育はとてもしっかりとしていると思います、やる気と熱意があり、その上で多面的な実力を育てれば、誰でも最先端のサイエンスを大学で楽しめる時代です。これからも若い学生と胸躍るサイエンスを楽しみたいと思います。
最後になりますが、博士号おめでとうございます。
2016.7.2
博士課程院生の研究がテレビのニュースや新聞で報道されました。
プレスリリースや記者会見は幸運にも何度かさせて頂いているのですが、テレビや新聞では、いつも研究室主催者の私の顔写真や映像が使われていたので、どうしても実際に実験をして手を動かしたメンバーの成果として、社会的にも知って頂きたかったので、今回は、学生さんにも研究部分の多くを記者会見で発表して頂き、学生さんの写真や映像を紹介して頂けるように頭を下げてお願いしました。
しかし、学生さんがマスコミの記者さんの前で発表するためには、スライドや書類を万全に整えて、記者さんにも分かって頂けるように高いレベルで準備をする必要がありましたので、学会発表の時と同様にマンツーマンで原稿とスライドを推敲いたしました。
NHKテレビが来られるとは思っていませんでしたので驚きましたが、しっかりとスライドとプレゼンの準備をしていたので、分かって頂けたようです。様々な状況を想定してベストな準備を整えることが、研究だけでなく様々なところで生きてくると思います。
学位を取る学生さんには、今後の将来にこれまでの経験を生かして頂ければと思います。
これからも、研究室主催者の久原だけではなく、実際に頑張ったメンバーが社会的にも知られ評価していただけるように努めたいと思います。それが私の研究者としてだけでなく教育者としての喜びでもあります。
2016.1.3
神戸新聞に久原研究室のインタビュー記事が掲載されましたので、その内容を紹介させて頂きます。
「線虫に学ぶ"生存戦略"」
土の中などに生息する1ミリ程度の線虫を使い、脳や神経などの仕組みを研究しています。線虫の細胞は全体で千個足らず、神経細胞は約300個と少ないのに、遺伝子の数は人間に近い。線虫から学んだことが人間の長寿や健康の参考になれば、と思います。長寿との関係では、一般的には食事や運動法などが注目されます。線虫は食事が不足すると、飢餓に備えて、幼虫は成虫に成長しなくなります。「耐性幼虫」といいます。生存を優先するのです。
口を閉じて食事をせず、排せつもなくなります。体が細く、腸の中に脂肪が蓄えられ、黒くなるのが特徴です。線虫の寿命は通常20日ほどなのに、耐性幼虫は2~3カ月も生き延びます。食事が十分になれば元の状態に戻ります。
実験で使う線虫は、培養皿にいる大腸菌をえさにしています。大腸菌は人でいえばフランス料理のような高カロリーの高級食品。線虫はよく太っています。ですが、培養皿のようにえさを食べ続けられる状態よりも、えさがあるときとないときを繰り返した方が寿命は延びます。体のためには、一時的な飢餓状態があった方がよいようです。私も、昼ご飯は白飯を減らすようにしていますよ。
私が研究対象にする脳や神経、腸などは体の物質代謝やホルモン分泌に関係し、全身の健康にとって重要です。脳や神経を健康に保つには、過度なストレスなど悪い情報を与えないことが必要です。ストレスがたまると線虫も体型が変わったり早死にしたりします。
個体数が増えすぎて生息密度が高くなると、ストレスが増え、線虫にとって不快な状態になります。満員電車が不快なのと同じですね。密度が高くなると、将来の食事不足を想定し、耐性幼虫になります。ストレスを減らすには脳に快いことをするのがいい。趣味に没頭するのがお勧めです。私の場合はプラ モデルなど。気分転換にはものを作るのがいいですね。
メモ 線虫と温度 線虫はある温度から急に低温に移すと死ぬ。寒さは物質代謝な どに悪影響を及ぼすためという。だが、それらの中間の温度に一度置くと、低 温に耐える力が備わり、生き残る個体が増える。
略歴 くはら・あつし 1976年名古屋市生まれ。理学博士。名古屋大大学院理学研究科講師などを歴任し、2013年4月から現職。
2015.1.4
比較生理生化学誌から久原 研究室紹介の記事を依頼され出版されましたので、その原文を載せさせていただきます。
「理工学部生物学科 / 統合ニューロバイオロジー研究所 久原 研究室」 久原 篤
名古屋生まれの名古屋育ち、好きな食べ物はミソかつで、中日ドラゴンズのファンという根っからの名古屋人、そんな私がオシャレなデザイン都市といわれる神戸で研究室を立ち上げて新しい研究を進めている姿を、学生時代のエピソードもたくさん交え紹介させて頂きます。
私は大学に入るまでは数学と物理学と脳科学に興味を持っておりました。高校時代は、数学や物理学の微分積分と遺伝学のメンデルの法則に、アートのような美しさを感じました。そのなかで、より高度な現象を美しくシンプルに解き明かしたいという気持ちに駆られ、特に「思考」が脳の中でどのように作られるのかをシンプルに説明したいと思っておりました。そのようなことから大学では、生物系と物理数学系で悩んだ末に、名古屋大学理学部の2年生の際の学科配属で分子生物学科(現 生命理学科)に配属されました。当時は、岡崎フラグメントを発見された岡崎恒子先生、葉緑体ゲノムプロジェクトに成功した杉浦昌弘先生といった、私にとってはレジェンドの先生方から分子生物学を学ぶことができました。神経系では、細胞接着因子セマフォリンを発見された藤澤肇先生から、神経発生の基礎を学びました。
1998年に4年生となり研究室配属となるのですが、九州大学の大島靖美先生の研究室で助手をされていた森郁恵先生が、名古屋大学で助教授としてラボをもたれることとなりまして、線虫の神経系を学ぶ機会を得ました。線虫に魅力を感じましたのは、遺伝子-細胞-神経回路-個体行動を統合した解析が可能であることと、ゲノムプロジェクトが終わりかけていたことなどが挙げられます。研究室に入るまでは、研究をしたいとは思っておりましたが、研究室の研究がどのようなものか実感がなく、漠然と研究者になりたいと思っていると同時に、高校の先生にもなりたいなど、将来の進路に決めかねておりました。ところが、研究室に入って実験を始めましたところ、「これが自分の天職だ!」と感じられるほどに楽しく、寝食の時間を忘れて没頭しました。学位をとるまでは、主に線虫の温度を感じる感覚ニューロンにおける、温度感覚の感度調節を解析しました。具体的には、カルシウム依存性のプロテインフォスファターゼであるカルシニューリンが、感覚神経の感度の調節に関わることを見つけました(Kuhara et al., Neuron, 2002)。当時、カルシニューリンといえば、免疫制御で知られていたのですが、脳神経系の機能は十分には分かっておりませんでした。線虫のカルシニューリンの変異体は温度走性行動に異常をもつのですが、初めは介在ニューロンなどにおける記憶に異常があると想定していました。細胞特異的に行動異常を回復させる実験から、予想外に感覚ニューロンにおける感度調節に関わることが見つかり、新しい発見となりました。ちょうどその実験を行っていたのが2000年の正月でした、ラボのラジオで紅白歌合戦や正月番組を聴きながら実験しており、予想外の結果が分かったときには非常に興奮したのを思い出します。
2004年に学位を取得しまして、その後は海外に行きたいと思いまして、翌年からイギリスケンブリッジのMRC-LMB研究所のMario de Bonoのラボに留学することが決まりました。MRCでセミナーを行い、イギリスに滞在できることが決まりまして、日本の自宅の家財道具を処分し、イギリスで頑張るぞと意気揚々としていた28歳の夏でした。ちょうどその時期に、恩師の森郁恵先生が教授になられ、助手としてお声をかけて頂きました。すでに留学が決まっていたため迷ったのですが、中途半端な状態の研究が幾つか残っていましたため、名古屋に残ることにしました。2005年に助手(2009から講師)となり、その時におこなっていたのが、線虫の温度学習行動のシンプルな神経回路を同定し、その活動を最新の光技術を使ったカルシウムイメージングで定量化するものでした(Kuhara & Mori, J. Neurosci., 2006)。また、温度と餌の関連づけ学習に関わる分子として、インスリンを卒業生の児玉英児氏が同定し、インスリンを介した神経回路情報処理をカルシウムイメージングで可視化することにも取り組みました(Kodama et al., Genes Dev., 2006) 同時に行っていた研究が、温度受容に関わる三量体Gタンパク質が関わる温度情報伝達の解析と、嗅覚ニューロンが温度を受容するというものです。この研究は、卒業生の奥村 将年氏(現医師)から引き継いだテーマで、ハーバード大とスタンフォード大とブランダイス大のラボと熾烈な競争となりましたが、何とか公表することができました(Kuhara et al., Science, 2008)。この過程は今でも良い経験として培われております。
これらの研究から、温度感覚と温度学習の2つの研究に関して、大枠の骨子が見えてきましたが、まだまだ未知の点が残っておりました。具体的には、感覚ニューロンで入力された情報が、介在ニューロンからなる神経回路中でどのように処理されるかです。これまでの手法を用いたのでは、新しい発見は見つからないと思いましたので、当時、日本ではまだほとんど使われていなかった光駆動性チャネルであるハロロドプシンやチャネルロドプシンをつかい、カルシウムイメージングと分子遺伝学を駆使した解析を行いました。この解析では、行動中の線虫を自動追尾して、神経活動を光操作する装置をオリンパス社やモレキュラーデバイス社などと共同で開発しました。装置の開発だけで約2年を要し、その間生物学的な結果は何もないという状態でしたが、装置が完成してからは解析が加速度的に進み、単一の感覚神経が、それと繋がる単一の介在ニューロンに興奮生と抑制性の相反するシナプス伝達を行い、その制御に関わる神経活動の暗号を解読することができました(Kuhara et al., Nature commun., 2011)。
この研究がまとまりそうでしたので、先のことを考えておりました。当時はパーマネントの専任講師でしたが、講座制のため温度走性以外のテーマは行えませんでしたので、少し考えまして「オリジナルのテーマを新しく始めるにラボを持てばいいんだ!」とシンプルな結論に至りました。そうはいっても32歳の若造をPIとして採用してもらえる場所はなかなか見つからず、1年ほど探しまして、2011年に幸運にも神戸の甲南大学にて研究室を持てることとなりました。研究だけでなく若い学生と賑やかに研究できる大学の雰囲気が好きです。
甲南大学では理学部系が創立60周年を迎え、基礎研究に根付いた学問に取り組める良い環境を頂いております。前任の先生は、比較生理生化学会でも活躍されました園部 治之先生です。園部先生は、カイコをつかった解析から、ホルモンがペプチド物質であることを解析されました(Sonobe & Ohnishi, Science, 1971)。当時は、分泌性の情報伝達が非タンパク質によりおこなわれていると考えられていました。さらに、園部先生から引き継いだ機器には、細胞周期の研究でラスカー賞を受容されました、増井禎夫先生の機器がございました。増井先生は、甲南大で助教授として研究をされた後にトロント大に異動されました。このような先生方の研究室の流れを汲むことができ幸せです。
2011年度のメンバーは、4年生5名と、名古屋大の医学研究科で学位を取得したばかりの妻の太田 茜(現日本学術振興会 特別研究員RPD)と、私の7名でしたが、妻は出産間近でしたので、立ち上げて1ヶ月で産休に入りました。産後しばらくは保育園に入所できないため、翌春までは、私が午前中に自宅やラボで子守をし、その間に妻が研究をし、午後に交代するといった生活でした。そのかいあって、育児の充実感と大変さを身をもって体験できました。
新しく研究テーマを立ち上げるにあたり、興味として「神経」と「温度」の2つがありましたので、まだ線虫で誰も解析をしていなかった「低温適応」と「磁気走性」を立ち上げました。磁気走性は、4回生が頑張りまして線虫の磁気への走性現象と関連遺伝子を見つけたのですが、実験をする日によって走性現象が安定しませんでした。一方、低温適応の方は当研究室の宇治澤知代 氏(博士後期課程院生)と、太田茜 博士の頑張りで思わぬ結果が出まして、ちょうど、この原稿を書いている時に、アクセプトの返事がきました (Ohta, Ujisawa et al., Nature commun, 2014)。新しく見つけました低温適応現象とは、20℃で飼育された線虫は2℃で死滅するのですが、15℃で飼育されると2℃でも生存できる現象です。この現象をもとに300種類以上の変異体の解析や、最新の光技術を使ったカルシウムイメージングや、DNAマイクロアレイ解析を組み合わせて興味深い結果が得られました。具体的には、従来、「光を感じるニューロンとして知られていた感覚ニューロンが温度を受容して、インスリンを分泌し、腸や神経系で受容することで、低温適応が制御」されていることが分かりました。さらに、3量体Gタンパク質が温度情報伝達に関わることから、光や匂いと同様の受容体の存在が予想されます。また、温度への適応スピードに関わる遺伝子としてホ乳類の記憶に関わる遺伝子が見つかってきましたので、記憶の実験モデルとしても使用しております。偶然見つけた低温適応の現象から、「温度受容」と「記憶」の解析が進みそうですので、とてもワクワクしております。
PIになりますと自分で実験できる時間は必然的に減りますため、実際に研究を進めて下さっている、学生さん、スタッフのみなさんに毎日感謝しております。当研究室は神戸三宮からも大阪梅田からも近いため、お近くにお越しの際には是非お立ち寄り下さい。美味しいコーヒーをいれて、線虫と一緒にお待ちしております。
謝辞
今回、「研究グループ」のコーナーに当研究室に依頼を頂きまして、比較生理生化学学会の関連の先生方に深謝いたします。編集部からは、若手のPI(Principal Investigator(研究室主催者)に、研究室の立ち上げ話なども含めて紹介してもらうことで若手研究者によい刺激になればという御連絡でしたので、快諾させていたしました。今後ともよろしくお願いいたします。久原篤
2014.10.1
財団法人アステラス病態代謝研究会の最優秀理事長賞受賞に対する寄稿をいたしましたので、原文を載せさせていただきます。
「温度への適応記憶の新しい研究の開拓」
このたびは、最優秀理事長賞受賞を拝受させていただき、身に余る光栄でございます。アステラス病態代謝研究会ならびに、関係の先生方に心より感謝申し上げます。新しい研究室の立ち上げでしたため、本助成金は、まさに天からの恵みでした。私は独立前、長らく名古屋大学 理学部の森 郁恵 先生の研究室で助手~講師として線虫の記憶行動の解析を行ってきました。恩師と同僚に恵まれ、運良く行動や記憶の神経情報処理の新しい知見を得ることが出来ました(Kuhara et al, Science, 2008; Kuhara et al., Nature commun, 2011; Kuhara et al., Neuron, 2002)。33歳という若造でしたが、鶏口牛後の精神で、新しいテーマを自分の研究室でゼロから立ち上げたいと思い、巡り合わせで甲南大学で2011年から研究室を持たせて頂きました。前任の園部治之先生はカイコを使い、ホルモンがペプチド物質であることを見つけた先生で(Sonobe & Ohnishi, Science, 1971)、その以前には、カエルの卵成熟促進因MPFの発見でラスカー賞を受賞された増井 禎夫 先生が、助教授としてラボを運営されておりました。このような流れを引き継ぎ、生命の本質をじっくりと研究できる環境を頂けました。
私の研究室では、動物の温度に対する適応と記憶を線虫をつかい解析しております。独立後に現象の発見から始めたテーマでしたので、どのような方向に進むのか全く予想できず、学生時代のピュアな気持ちで研究を行いました。幸いにもメンバーに恵まれ、面白い結果が得られ、「光受容ニューロンが温度を感じて、体全体の低温適応を制御する」ことが見つかり、また、「温度が3量体Gタンパク質によって伝達」されることも見つかりました。ちょうど、この文章を執筆中に論文のアクセプトの連絡が届き、貴会の助成による結果を公表でき、とても幸せです(Ohta, Ujisawa et al., Nature commun, 2014)。今後も温度適応の分子組織ネットワークの全貌解明に向け、全力を尽くしたいと思います。末筆となりますが、貴財団のさらなる御発展をお祈り申し上げます。
久原篤
2014.2.20
六甲山オルゴールミュージアム
先日、六甲山の山頂付近にございます六甲山オルゴールミュージアムに行って参りました。大学付近から自家用車で六甲山頂まで登ったのですが、およそ30分くらいの距離でしたので、思ったよりも非常に近く感じました。山頂付近は雪で視界も悪く吹雪いており、運転に気をつけました。
六甲山オルゴールミュージアムには、主に1800年代のヨーロッパの貴重な大型のオルゴールがたくさんありまして、その中でも、バイオリンが6個内蔵されております自動演奏バイオリンや、スタンウェイの自動演奏ピアノといった、一般的なオルゴールよりも一段技術的に作成が難しいだろうと思われるものが幾つかございました。特にドイツ製のものが機械的には立派に感じたのは、当時のドイツの自動車技術や工学技術が先進的であったためだと思います。外箱などの造形といった芸術という意味ではイタリア製のものが綺麗でした。六甲山のオルゴール館に行ったのは初めてですが、以前に確か名古屋で助手になり立てのころに、北海道で学会があった際に恩師の森郁恵 先生と小樽のオルゴール館に行ったことがありました。小樽は観光名所でしたので、一般向けの作品が多かったように感じます。
オルゴール演奏を聞いていて、ふと科学者であることを自覚しました。サイエンティストとして、芸術作品を見ることで脳を普段使わない方向でリラックスし、新しい考えがひらめく瞬間があります。また、自動演奏バイオリンなどは芸術だけでなく、当時の最先端の技術が集約されておりますので、最近は実験機器の開発をしているせいか、その技術美にも感動しました。サイエンスにおいても芸術と同じく質を大切にし続けたいと思います。
さて、本題のオルゴールの演奏に関しましては、実際に演奏をしていただける時間もあり、大がかりなホールで使用された7,8メートルほどの大きさの自動演奏機器なども演奏され、その当時の社交会で使用された雰囲気がとても伝わってきました。雪の影響もあり演奏会に参加されていたお客さんは20名ほどでしたので、目の前で楽しむことができました。客層を見て思ったのですが、乳児から幼稚園-保育園位のお子さん連れが何組かございました。小さな子供がいますとコンサートに行くことができないため、親御さんにとっても楽しめ、乳幼児にも人生で初めてコンサートの様な雰囲気を味わえるよい場所かと思いました。
神戸はデザイン都市と宣伝しておりますので、芸術的なものがたくさんありますので、機会があるごとに訪れてみたいと思います。
2013.3.2
しばらく前に、稲盛財団の会合に出席させていただきまして、その時の特別講演者としまして、自然科学振興機構長の佐藤勝彦先生の講演を拝聴いたしました。佐藤勝彦先生は、宇宙最初期に光速度を超える急膨張の時期があった とするインフレーション理論の提唱者の一人です。
インフレーションから 無限に創成される異なった物理法則を持つ宇宙があり、我々のすむ3次元の空間ではなく、4次元、5次元の空間?が存在するとのお話を聞きました。そのなかで、我々は3次元に生きているため、3次元しか認識できないため、認識できる範囲内のものとして生命体を想定しているが、存在するであろう5次元などの宇宙では、我々が認識できない単位の生命体や意識のような存在があるかもしれないとお話しされておりました。
大きなスケールからいいますと、とある宇宙空間そのものが生命体や意識のような存在であるかもしれないといったことだそうです。私は専門家ではございませんが、一人の科学者として、興味深くお話を聞かせていただきました。専門の異なる分野のお話を聞くととてもためになります。
お話の中で、一般相対性理論における、佐藤・富松解で知られている佐藤文隆 先生(現:甲南大学教授)とは同じ研究室の先輩-後輩とのことでした。偶然なのですが、中高生時代に宇宙と相対性理論のNHKスペシャルをみて、興味を持って購入したブルーバックスが佐藤先生の著書であったことを最近思い出しました。すべてのサイエンスには接点がありますので、様々なお話を聞くことで刺激を受けます。
2018年追記: 後日談でございますが、佐藤勝彦先生と「宇宙と生命」というシンポジウムにて、僭越ながら佐藤勝彦先生のあとに講演をさせて頂きました。その後に一緒にお食事をさせて頂きまして、先生の豊富な学識に触れることができとても学ばせて頂きましました。エピジェネティクスなど生物分野のご研究もご存知で、線虫の温度生物学にもご興味を持って頂き嬉しかったです。また、サイエンスとは異なる話題ではございますが、佐藤勝彦先生は阪神淡路大震災の日にちょうど甲南大学で集中講義を行っていたそうで、その時のお話しも伺いました。
お食事会の写真(久原の右席が佐藤勝彦先生, そのお隣が佐藤先生の奥様, そのお隣が西村いくこ先生, その正面が西村幹夫先生
2012.2.17
2月14日に、本年度の卒業実験の発表会が行われました。本年度は、研究室の立ち上げのなか、5名の4年生が楽しみながらも頑張って研究に取組み、低温耐性と磁気走性という2つの新しい実験系の立ち上げと現象の発見をされました。
4月に配属された際には、毎日部屋の片付けと掃除ばかりだったのですが、実験ができるようになってからは、みなさん生き生きと研究され、その成果が実ったのだと思います。何もない新しい所に飛び込んでくる方にはとても大きなエネルギーを感じました。
学生さんの一生懸命に行なった結果は、2月の学科内の発表会で口頭発表することになっております。持ち時間は発表が6分と質疑が2分と短い時間なのです が、大規模な学会の口頭発表も6〜7分というものが普通にありますので、その時間内で十分に研究内容を発表できるように学生と試行錯誤いたしました。
久原研では、2週に一度プログレスレポートという、学生全員がレジメを作って発表するミーティングを行なっています。また、10月末に研究室内の 中間発表会をもうけ、パワーポイントで発表して頂きました。そのスライドを叩き台にして、私と博士研究員と学生さんとが密に連絡をとり合って、一緒に頑張り、各人のスライドや文章を何度も改変しました。原稿ができた後は、それを覚えて質疑応答も練習しました。そのかいあってか、みなさん立派な発表をされておりました。
プレゼンテーションは、大学などの研究関係だけでなく会社などでも絶対に避けては通れないことなのですが、日本ではそれを学ぶ機会が非常に少ないようなき がします。これからも、研究をとおして最新の発見と、その発表を通じた学生さん成長を日々楽しみに、学んでいければと思います。
2011.5.8
現在、研究室のセットアップで機器の整備をおこなっております。そのなかで、前任の園部先生がつかわれていた備品以外の機器をいくつかみつけました。園部先生のお話によりますと、それは 増井禎夫 先生の備品とのことでした。
増井先生は、甲南大学で1955-1965年まで助手、 講師、助教授を歴任され、助教授時にエール大学への留学を経て、トロント大学の教授に就任されました。先生は、現在の細胞周期の研究の原点となります、卵 成熟促進因子MPF(マチュレーション・プロモーティング・ファクター(後のサイクリンとcdc2))を発見され、この発見によりラスカー賞を受賞されま した。
増井 禎夫 先生とは直接の面識はないのですが、偶然にも大学2年生のときに初めて読んだ論文が、増井先生のMPF発見の原著論文でした。当時、生物学演習を担当され ていた舛本 寛 先生(現かずさDNA研究所)の論文課題として読ませて頂きました。はじめて読んだ論文でしたので、専門用語などを辞書で1つ1つ調べながらでしたが、細 胞周期を人工的に進行させることのできる物質があるということに大きく感動いたしました。
今は、学部時代に読んだ論文を思い出しながら、増井先生の顕微鏡を使わせて頂いております。先日、学生さんに顕微鏡をつかいかたを説明する際に、増井先生 の顕微鏡であることを紹介したところ目を輝かせておりました。学生さんが目を輝かせているのをみるのはとても幸せな瞬間でございます。
増井先生は2000年代に甲南大の招聘教授をされていた御縁で、たまに甲南大にいらっしゃるそうです。いつかお話しできる機会を楽しみにしております。
2011.4.1
本日、甲南大学に赴任いたしました。
研究室の名前を決めるにあたりまして、僭越ながら、前任の園部 治之 先生の「生体調節学 研究室」の名前を引き継がせて頂きました。
園部先生は、内分泌学の生化学研究をおこなわれ、代表的な研究としまして、カイコをつかった解析から、ホルモンがペプチド物質であることをはじめて明らかにされました(Sonobe & Ohnishi, Science, 1971)(文献)。当時は、分泌性の情報伝達が非タンパク質による化学物質でおこなわれていると考えられていた時代でございましたので、その重要性は説明するまでもないかと思います。
園部先生とは不思議な御縁がございます。園部先生は大学院を名古屋大学の大西英爾 先生(現名古屋大学名誉教授)のもとで過ごされました。そのときに研究を行っていました御部屋が、私が先月まで研究を行なっておりました理学部E館2階の森研究室の私のデスクのあった部屋であることを、園部先生 御本人から伺いまして非常に驚きました。
サイエンスは、常に先人の発見をもとに進展してきた学問でございますので、40年の時間を超えて先輩より引き継ぐ、若い「生体調節学 研究室」を今後ともよろしくお願いいたします。
久原 篤
2011.3.20
私の好きな徳川家康の訓でございます。
困難に遭遇した時にはいつもこの訓をよんで頑張っています。下部に現代約をのせてあります。
人の一生は重荷を負いて遠き道を往くが如し、急ぐべからず、
不自由を常と思えば、不足なく、
心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。
怒りは敵と思え、
勝事ばかり知りて、負くる事を知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責むるな、
及ばざるは過ぎたるより勝れる。徳川家康公遺訓
現代語版
人の一生は重たい荷物を背負って遠い道のりを歩くようなものだ。
決して急いではならない。
何事も質素倹約を常識であると思えば、一切何かの不足を不満に思うことはない。
心に無益な望みが生じたら、困窮していた時の苦労を思い出してみよ。
耐え忍ぶことは、人生の平安、寿命の延命の元である。
自分の怒りの感情こそが自分の敵と思え。
勝つことばかりを知っていて、負けることもあるのだということを知らなければ、
その実害はいずれ我が身に返ってくる。
ただただ自分を責めて、人を責めるな。
何事もほどほどというのが やりすぎより良いのである。